MaYa

日々新又日新

FIREって何?  

 

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世の中にストレスを抱えないで仕事をしている人はほとんどいないと思います。むしろ、人間関係に悩み苦しみ、日程に追われ、査定や給料に一喜一憂し、等々、ストレスに悩み苦しむことの多いのが現実です。たとえ、趣味を職業にしても、一家の大黒柱として収入を得なければいけないとなると、趣味といった安易な気持ちだけで続けることはできないでしょう。そして、人生の大半を企業戦士として送り、定年頃になると心身ともにボロボロになって倒れてしまう人も少なくありません。これでは何のために生まれてきたのかわかりません。

 

さらに、平成時代になって日本の成長が減速し、企業は裁量労働制成果主義とした新しい制度をつぎつぎと採用し、賃金の抑制や業務の効率化を進めてきました。その結果、格差が拡大してきました。さらに非正規雇用によって日本の産業が支えられるようになり、格差がますます大きくなってきています。そのような中で、多くの若者が仕事に夢や生き甲斐を持てなくなってきています。これはひとえに、強気を助け弱気をくじく政治の問題です。若者はもっと政治の問題に目覚めないといけない。

 

そんな人生に見切りをつけ、早期退職して経済的に自立するFIRE(Financial Independence, Retire Early)が話題になっています。これについて、興味深い記事があったので紹介したいます。タイトルは『FIREを実現する4つの道筋、マネーのライフプランの作り方』、執筆者は楽天証券経済研究所長 兼 チーフ・ストラテジストの窪田 真之氏。窪田氏は、私が日本で最も信頼している経済のストラテジストです。

 

窪田氏は、どうやってFIREを実現する?として次の4つのパターンを挙げています。

 

【1】一攫千金→貯蓄を切り崩しながら、好きなことだけする

【2】生活費の25倍の貯蓄をつくり、年率4%で運用しながら生活する

【3】生活費がほとんどかからない自由な生活に入る

【4】好きな仕事だけやって一定の収入を得ながら、FIRE

 

そして【4】が一番実現性が高いパターンだとして、『FIRE後も、仕事はするということです。ただし、自分にとって本当に好きな仕事だけやって収入を得るようにします。嫌な仕事を我慢してストレスを抱えるのではなく、好きな仕事だけやって生きるということです。

・・・中略・・・

一番気をつけなければならないのは、好きな仕事で本当に年200万円稼げるか慎重にシミュレーションすることです。今の仕事をやめてしまう前に、副業でやってみて、確かな感触をつかんでおく必要があります。

何も仕事をしないFIREは現実的でない。

と述べています。

 

安易に人生の選択をすると、ズルズル転落の道を歩んでいかないとも限りません。愛する妻子まで道連れにしてしまいます。また、物事を都合よく楽観的に考え(確証バイアス)、株式などのハイリスクな投資で生計をたてようというのも危険極まりない行為です。どのような人生にも困難が待ち受けているものです。それを乗り越えられるかそうでないかは、しっかりとした人生設計のもとに十分な準備をした上で新天地に臨んだかどうか、そして強い信念を持ってわが道を選択したかどうかにかかっていると思います。

 

詳細は窪田氏の記事に書かれていますのでそちらを参照してください。

窪田氏の連載記事

その1

その2

その3

 

以上

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西部劇のテーマ曲、「Johnny Guitar(ジャニー・ギター)」を演奏してみました。よかったらお聴きください。


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「あざみの歌」との縁

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あざみは野花の中でもっとも好きな花である。草むらにスッと伸びた固い茎ととげのある姿、そして空に向かって紅色に映える清楚で凛とした姿は、美しくも芯のしっかりした理想の女性像と重なる。そのあざみに魅せられたのは青春時代、長野県下諏訪町霧ヶ峰高原の北西部に位置する八島ケ原湿原に咲いていたあざみに出会ったときだった。湿原の傍らの草むらの中で輝きを放っていたあざみが今でも鮮明に記憶に残っている。諏訪はわたしの第二の故郷。元気なうちにあの若かりし青春時代に受けた感動をもう一度味わってみたい。

 

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そして、あざみといえば日本人の誰もが愛唱している「あざみの歌」である。詩は、昭和20年(1945)に復員してきた当時18歳の横井弘が、疎開先の下諏訪の八島ケ原高原で、野に咲くアザミの花にみずから思い抱く理想の女性の姿をだぶらせて綴ったものだという。霧ヶ峰八島ケ原高原にはその歌碑が建っており、あざみの歌発祥の地としても親しまれている。わたしがこの事実を知ったのはつい最近のことである。あの青春時代のあざみとの出会いといい、あざみに対する思いといい、作詞家の横井弘との偶然の一致に驚いている。

 

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【作詞】横井 弘

【作曲】八洲 秀章

 

山には山の 愁(うれ)いあり

海には海の 悲しみや

ましてこころの 花ぞのに

咲しあざみの 花ならば

 

高嶺(たかね)の百合の それよりも

秘めたる夢を ひとすじに

くれない燃ゆる その姿

あざみに深き わが想い

 

いとしき花よ 汝(な)はあざみ

こころの花よ 汝はあざみ

さだめの径(みち)は はてなくも

香れよせめて わが胸に

 

日本的情緒に溢れた美しい詩である。あざみの花に例えて、理想の女性への思いをみごとに表現していると思う。

 

おわりに、「あざみの歌」をクロマチックハーモニカで演奏してみました。まだまだ思い通りには演奏できていませんが、よかったらお聴きください。

 
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野鳥の巣立ちの危険

 

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ちょうど今頃は、野鳥たちの巣立ちの時期になる。わが家の周辺でも、親鳥が巣立ったばかりのヒナを誘う鳴き声で賑やかになる。巣立ちは野鳥のヒナにとって、生涯で最も危険な瞬間である。そのため、巣立ってもしばらくの間は、親鳥がヒナをしっかりと見守り餌を与える。そして、親鳥はヒナが自立できたころを見計らってきっぱりと子離れする。小鳥でもほかの動物でもこのことは徹底している。子育て放棄や、いつまでも親離れ子離れができずに子供を駄目にしてしまうことが多い人間が動物から学ぶべきところは多い。

 

そんな、野鳥の巣立ちの時期、昨夜(7/16)自分の部屋に戻ると、床の上に巣立ったばかりの一羽のヒヨドリのヒナがいた。私もびっくり仰天したがヒナも驚いたのだろう、おぼつかなく羽をバタバタさせながら窓際に飛んでいった。そして、ベッドの下を見ると愛猫ララがいた。またまた、誇らしげに獲物を持ち帰ってきたのである。ヒナには全く外傷がなく元気なところをみると、ララは甘噛みして持ち帰ってきたのだろう。“連れ帰った”といったほうがよいかもしれない。このようにララは優しい一面も持っている。これまで幾度も小動物や野鳥を持ち帰ったことがあるが、かみ殺したことは一度もない。

 

さてさて、アタマを抱えてしまった。ヒナをこのまま外に放しては危険である。おそらく死んでしまうだろう。そこで、さっそく犬用のキャリヤを改装。また娘に電話して、モモンガ用のミルワームを少し分けてもらって準備完了。ところが、精神的なダメージが大きかったのだろう。まったく食べようともしない。これから先が思いやられる。明くる日の早朝、どうしようかと途方に暮れているところに、遠くで親鳥がヒナを探しているような、悲痛な叫びのような鳴き声が聞こえてきた。そこで、ヒナを窓際に置くと、ヒナもピヨピヨとか細い声で鳴き始めた。恐るべき聴覚である。親鳥はこの鳴き声を聞きつけて飛んできたのだろう。そこでヒナを放したところ、間もなく親鳥の元に帰っていった。

 

その後はどうなったかわからない。しかし、ベストな選択だったと思う。ヒナを見失った親鳥はしたらばらくの間(1~2日か?)は周辺を探し回るので、もしヒナを保護したら同様の方法を試みるとよいと思う。もちろん怪我をしたり弱ったりして飛べなかったら動物病院で診てもらうしかない。

 

今回は、そんなホットな野生動物とのふれあいの一コマを紹介しました。少しはお役に立ちましたでしょうか。

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1982年に日本で一番売れた洋楽シングル曲、『Casablanca(カサブランカ)』を演奏してみました。日本では郷ひろみが「哀愁のカサブランカ」でカバーしています。よかったらお聴きください。

 


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歌詞の原語+和訳はこちら(すばらしい和訳だと思います)

 

愚か者ほど出世する

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図書館で「愚か者ほど出世する」という刺激的なタイトルの本が目に留まった。どこか共感するところあったので、さっそく読んでみた。これがたいへん面白い。この本は、イタリア人ジャーナリストのピーノ・アブリーレ(Pino Aprile)が、ある高名な大学教授と交換した手紙の内容をもとに書いたものである。教授からの論理的で真っ当とも思える手紙に対して、著者のアプリーレが反論するというスタイルで書かれている。ユーモアを交えた面白い内容であるが、笑いの中にも人間社会の本質を突いているようなところがあり、ついつい引き込まれてしまった。日本人の書いた書物ではなかなか見ることができない、知性の中にも大らかさやユーモアが溢れた書である。解剖学者の養老孟子先生の序文の中に、「こういう本のいいところは、固定観念を変えて、脳を解放してくれるところである。・・・この本は笑うための本で、深刻に考えてはいけない。」とある。

 

この本の第1ページ目には、以下の「バカに関する九つの法則」が書かれている。この法則について私なりの感想を述べてみたい。もっとも、この本は確たる根拠があって書かれたものではないので、真面目に論ずるつもりはない。

(なお以下では、やや乱暴な言葉が飛び交うかもしれないが、これは本書に倣ったものであるのでお許し願いたい。)

 

1.バカは生きのび、利口は滅びる

暴力が蔓延る組織はバカが優位な組織であり、利口は、バカのもとでは手も足も口も出せなくなるというのが、長い人生で得られた経験的な知見である。このことは組織の大小に関係なく普遍的である。逆に言うと、人間が持っている暴力的な本性は、知性や道徳心によって抑制される。なお、誤解してもらっては困るが、このことは、「知性や道徳心が劣る=暴力的」だということを意味するものではない。

 

古今東西、知識人が虐殺されてきた歴史がこのことをよく物語っている。カンボジアポルポト政権による知識人の虐殺、中国においては文化革命による知識人の虐殺、ドイツではヒトラーによる有能なユダヤ人の虐殺、ソビエトではポーランドの知識人を一掃したカティンの森での虐殺等、取り上げたら枚挙にいとまがない。

 

社会においては、知性豊かで高潔な人間よりも、攻撃的で声が大きいバカによって支配されことが多い。そのあげくは、次々と明るみに出る組織ぐるみの不祥事。平和で豊かな社会であることは良いことであるが、一方でそのような社会にあってはもはや高い知性や人格はあまり重きを置かれない。利口な人間は、理屈っぽいので嫌われ、気が小さいからバカから攻撃されやすい。

 

社会のリーダーは知性・人格ともに優れた者が担うべきだと思うが、多くの現実はそうはなっていない。政治の世界もしかり。平和で豊かな社会になるほどその傾向が強くなっていくのではないだろうか。そのような社会の中では、油断していると「バカ」による強権的な政権がひたひたと忍び寄ってくる。私権を制限する憲法改正や秘密保護法、組織的犯罪処罰法改正等、報道規制表現の自由制限につながるような法律改正の動きがそのひとつである。そして日本周辺を見ると中国の覇権の動きが活発化。そして、つい先日の麻生氏による台湾有事「日米で防衛」発言。このように日本が戦争に巻き込まれていく条件が整いつつある。歴史は繰り返される。

 

2.死ぬよりバカでいるほうがよい

3.利口に生まれて死ぬよりバカに生まれて生きのびるほうがまし

4.生きのびたければ知性を犠牲にする必要がある

そりゃ、抑圧されたり殺されるような事態になったらバカを演じているほうがよいに決まっている。恵まれた才能を持つのも楽じゃない。平凡で幸せがいちばんということ。でもそれがいちばん難しい。

 

5.長生きすると脳が減る

年齢とともに脳が委縮していくことは良く知られている。一方で、努力次第で年をとっても脳細胞は増殖し活性化するらしい。長生きしたい人は、それなりに努力が必要ということ。目下、年とともに脳が減る最大の心配事はアルツハイマー病であるが、これも近い将来克服されるに違いない。現在、世界のさまざまな研究機関やベンチャー企業で熾烈な開発競争が繰り広げられている。薬の開発には長い年月がかかるので、その恩恵にあずかることができるのか微妙なところではあるが・・・

 

6.現代人はバカになるために生きている

7.利口なやつはバカのためにせっせと働き、結果としてばかを量産する

政治家と優秀な官僚との関係がコレ、そして官僚もバカになっていく。

 

8.のさぼるのはバカばかり

著者は、天才があるできごとを達成すると、共同体はそれをただ利用するだけで自分の知力を使わないので、利口なやつはバカのためにせっせと働き、結果としてバカを量産するという。このことは一面正しいと思う。原始の時代、人間は五感を研ぎ澄まして、敵の攻撃を避け、獲物を追いかけながら生きながらえてきた。おそらく、その時代、人間は犬猫が持っているような超感覚ともいえるような鋭い感覚をもっていたに違いない。やがて、人間はその知性によって、様々なものを発明し、豊かで平和な社会を作ってきた。一方で、鋭い感覚は永久に眠りにつくことになってしまった。

 

また、つい最近までの自給自足の貧しい時代にあっては、すべてのものを自分たちで手に入れる必要があった。創意工夫の努力なしでは生きていけなかったのである。それが、わずかこの50年程の間に、生活はどんどん便利になり、何でも与えられ、便利な時代になってきた。そのため人々は自分自身で考えることをしなくなってしまった。科学技術は進歩するほどバカを量産する。

 

しかし、知性の高いやつがバカに成果を与えるということ自体は、古代から延々と続けられてきたことである。そして、どんな時代にあっても知性の高いやつは活躍の場を探し求め続けるだろう。一方でバカは増えていき、利口とバカの二極化が進んでいく。

 

9. 人間は寄れば寄るほどバカになる

著者は、その集団に固有の知的レベルはそこに入るのに必要な最低限度の知力に等しいという。分かりやすくいえば、集団の知的レベルは最も知的レベルの低いものに脚を引っ張られるといっている。例外的に、ずば抜けて能力の高い連中が力を合わせると、知的能力は上昇するということも認めている。

 

しかし、社会はこの法則通りにならないようなしくみを作っているのではないか。少なくとも義務教育を終えると、入学試験によって一定レベル以上の能力のある者を選抜する。会社に入るには入社試験がある。この法則は一般性がなく、法則というには無理がある。教授も返答に困ったに違いない。

 

ついでに、動物も人間に飼われるとバカになる

人間がサルの子孫であるなら、サルはどうして進化してヒトにならなかったのか?これについて著者は、人間は、人間以外の動物の能力をせっせと刈り取ってきたからだという。つまり、人間は知性がありそうなあらゆる霊長目を絶滅に追いやってきたというのである。言葉を変えれば、自然淘汰は、個人や種が生きていくための戦いにおいて知性がもたらす利益を排除しようとするという。さては、上記「バカは生きのび、利口は滅びる」という法則の本質はここにあるということか。

 

どんなに知能の高い動物でも、人間に日常的に接触しているとしまいにはバカになるという。人間も社会という枠組みの中で家畜化されているようなものだから、もし動物がそうであるなら人間も同じこと。使わない能力は徐々に衰え、やがて脳細胞が消滅していく。そして新たな社会に適応した新たな能力が芽生えてくる。遠い未来、人間がどのように進化を遂げていくのか、面白いテーマである。

 

そういえば、うちの愛猫ララも野生の鋭い感覚を失ってバカになりつつある。しかし、バカでもよいではないか。ララは幸せそうである。要はバカの中身が問題なのである。

 

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以上

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Intermezzo from Cavalleria Rusticana(カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲)』を演奏してみました。よかったらお聴きください。

 

〇 曲の説明(ウィキペディアより引用)

『カヴァレリア・ルスティカーナ』(イタリア語: Cavalleria Rusticana)は、イタリアの小説家、ジョヴァンニ・ヴェルガによる小説(1880年出版)、同人による戯曲(1884年初演)、およびピエトロ・マスカーニが同戯曲に基づいて作曲した1幕物のオペラ(1890年初演)。題名は「田舎の騎士道」といった意味である。今日、特にイタリア語圏以外では最後のオペラ作品が有名となっており、本項でもオペラを中心に記述する。

ヴェルガの出身地シチリアの山間部を舞台として、貧しい人々の暮らし、三角関係のもつれから起きる決闘と殺人を描いたこの小説は、イタリアにおけるヴェリズモ(リアリズム文芸運動)の典型的作品とされている。

一方、マスカーニのオペラは1890年に完成し、楽譜出版社ソンゾーニョ社主催の1幕物オペラ・コンクールで圧倒的な支持を受けて優勝、マスカーニはたちまちオペラ界の寵児となった。また、このオペラはヴェリズモ・オペラ形式の端緒をなすものとされる。

改めて政治に失望_ひとりごと

 

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FNNプライムオンライン

 

菅さんが総理に着任した当初は、たたきあげの苦労人だけに、これまでとは違う何かをやってくれるだろうと期待していた。しかし、かつて経験したことのない国難の対策は菅さんにはあまりに荷が重すぎた。総理になったタイミングも悪かった。しかし、それは言い訳にならない。昨年来のコロナ対応をみているとあまりにお粗末である。相変わらず、現象が明らかになってからあわてて対策するという泥縄式の対応が続いている。要するに近未来の状況を予測し、先手先手で対策を打っていくということができていない。そのため、緊急事態宣言が出されるたびに、玉突き事故みたいに現場は混乱している。もし、しがらみの中で菅さんの判断を狂わせているためだとしたら、それは指導力の欠如である。いずれにしても、首相として不適格といわざるを得ない。しかし、他に頼りになる実力者が見当たらない?

 

今回の緊急事態宣言に至る感染拡大にしても、容易に予測できたはずである。なのに、多くの国会議員が楽観していたというから呆れてものがいえない。このような人たちに国政を任せていては日本の将来はない。しかし、古今東西政治家の平均的レベルとはこのようなものである。人間力だけがものをいう世界なのだろう。

 

菅さんは、昨日(7月8日)の国民向けの記者会見の中で「先手先手で対応すべく緊急事態宣言を発令する」というようなことをおっしゃっていた。笑ってしまった。1年余、後手後手の対策が続いている結果、今日に至っているのである。ここに至って先手先手とはお粗末で自慢にもならない。前任首相と同じで鈍感である。そして、緊急事態宣言下でのオリンピックという一貫性のない政策が実行されようとしている。先日テレビを視ていると、記者のインタビューを受けた若い女の子が、「オリンピックをやりながら緊急事態宣言って意味あるんですかねえ・・」と、気の利いたことを言っていた。これが普通の国民の気持ちではないだろうか。緊急事態宣言を出すのであれば、本来ならオリンピックは中止すべきだった。飲食業に携わっている人達はほんとうにお気の毒である。政府や行政の怠慢のつけを一身に背負いながら必死に頑張っておられる。ここまで政府や自治体のお粗末な対応を見せつけられると、緊急事態宣言の効果がどれだけあるのか疑問である。これから正念場を迎える。

 

こうなったら兎にも角にもワクチンだけが頼りである。それまでは自分の身は自分で守るしかない。とくに若い人達にはそれまで、なんとか感染しない/させないようくれぐれも注意してもらいたいと思う。

 

(またまた今回もコロナ関連のはなしになってしまいました。“もういいかげんにしてくれ!”、“つまらない”と思う人も多いのではないでしょうか。早く平和で明るい世の中になって欲しいものです。)

 

以上

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イタリアのトランペット奏者、作曲家のニニ・ロッソ(Raffaele Celeste 'Nini' Rosso, 1926 - 1994)が作曲した「夜空のトランペット (Il silenzio) 」を演奏してみました。よかったらお聴きください。

 


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ブドウ泥棒の犯人は?

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わが屋の庭に巨峰の苗木を植えて20年近くになる。ぶどうにしては大木になったが、庭が狭いので、一方の枝は家の周りをぐるりと取り囲むように、他方は空に向かって伸びている。それでも、隣近所の迷惑になるといけないので、せっかく伸びた枝をまめに切り落としているので、のびのびと育つことができないかわいそうなぶどうの木である。

 

 

春になると、若葉が目にまばゆい。早朝、オレンジ色の朝日を受けてシルエットに輝く若葉が目に入ると、さわやかな気持ちになる。夏は緑の葉で家が囲まれるので涼しい。そして秋はおいしい巨峰の味覚を楽しむことができる。しかし今年は、6月になって葉を虫に食われてしまい、文字通りの虫食い状態の穴だらけになってしまった。ピラニアが群がった後に残された骨みたいでみっともない。

 

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網の目になった葉

 

これだけ葉を食べられているのに虫の正体がわからない。そこで殺虫剤を散布したところ、どこに潜んでいたのか、無数の虫がボトボト落ちてきた。ブドウスカシクロバという害虫の幼虫らしい。もうすこし早めに殺虫剤を散布しておくべきだった。

 

ブドウの実はほとんど自然のままで、手入れをしていないが、その割にはおいしい大きな実をつけてくれる。ところが、秋になってブドウの実が色づいてくると動物や鳥がやってくる。むかしは、渡りを忘れたヒヨドリだったが、ここ数年、動物がやってくるようになった。昨年、毎朝あたり一面ブドウの皮が散らかっていた。器用な食べ方をしている。ブドウの実を袋で覆っても器用に外して食べている。なかなか賢い犯人である。そして秋の収穫時期になると全滅。

 

5年ほど前、夜明け前、濡れ縁から顔だけ出して家の中を覗き込んでいる、つぶらな瞳のかわいらしいタヌキを目撃したことがある。思いもよらないうれしい珍客だった。しかし、犯人はこのタヌキではないだろうと思っていた。タヌキにしては余りに盗み方が器用だったからである。

 

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タヌくん

 

そして、昨年のある日の深夜、窓の外で「ガサガサ」と音がするので、すかさず懐中電灯で照らした。ハクビシンだった。逃げようともしないでこちらをジッと睨んでいた。ハクビシンはタヌキよりひとまわり小さく、やや攻撃的な感じがする。調べると、確かに凶暴らしい。招かざる客だが、今年も秋の実りを楽しみにしているかもしれない。ブドウを食べるのはよいが、わが愛猫に襲いかからないことを祈るばかりである。

 

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 ちょっと怖いハクビシン

 

最近東京でも特に多摩西部の街中にはタヌキやハクビシンはもとより、サルやイノシシやシカなどの様々な動物が現れるようになってきた。タヌキは皇居にもたくさん住みついっているというから不思議なことではない。山に食べ物が少なくなってきたためか?それとも都会に憧れて来るのか?これ以上増えると人への攻撃、農作物の被害、感染症など心配になってくる。特にハクビシンは人家の屋根裏に住み着いて、糞害や騒音が深刻な問題になるという。どう共存していくか難しい課題である。

 

以上

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『Love me with all of your heart(太陽は燃えている)』を演奏してみました。よかったらお聴きください。


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〇 曲の説明(情報の出所:https://ottorinayatu.blog.jp/archives/54637823.html

原曲はキューバ出身のトリオLos Hermanos Rigualが1957年に歌った「Cuando Calienta El Sol (直訳:太陽が熱くなるとき)です。邦題はこのスペイン語が由来です。 英語版は1964年にレイ・チャールズ・シンガーズによって歌われヒットしたのが最初です。1970年にエンゲルベルト・フンパーディンクに歌われ大ヒットしました。歌詞は、甘い典型的なラブソング。一度聴いたら忘れられないメロディです。

 

歴史は繰り返す_オリンピック開催の決定のプロセス

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オリンピックに関する重要事項は五者協議なるものによって決定されてきた。五者協議とは、東京五輪パラリンピックの運営実務を担う大会組織委員会、開催都市の東京都、開催時の出入国管理を担当する日本政府に加え、大会の主催者である国際オリンピック委員会IOC)と国際パラリンピック委員会(IPC)が参加する5者の代表者会議である。組織委のメンバーは橋本聖子会長、小池百合子都知事丸川珠代五輪相、IOCのバッハ会長、IPCのパーソンズ会長。ここには国民から負託を受けたメンバーが一人もはいっていない。このメンバー構成をみると、なにがなんでもオリンピックありきで議論が進んでいったことは容易に推察される。無責任だと思う。新型コロナ感染対策は相変わらずの泥縄式であり、三週間後にはオリンピックが始まるというのに様々な問題が浮かび上がってきているという。しかし、いまだに誰が司令塔になって対策が進められているのかよくわからない。もうお手上げだ!という識者も多い中で、数週間後の混乱を想像するとおそろしい。感染爆発が起こらないことを祈るばかりである。

 

今回のオリンピック開催決定のプロセスは、かつて太平洋戦争開戦決定のプロセスとよく似ている。ノンフィックション作家の保坂正康氏は「開戦への歴史 教えよう」という中国新聞の記事の中でつぎのように述べている。

 

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 「開戦を最終的に決めたのはわずか9人。1941年11月29日の大日本政府連絡会議で、政府側は東条英機首相兼陸相や東条茂徳外相ら、軍側は杉山元陸軍参謀総長永野修身海軍軍司令部総長らが決定した、2日後、天皇も出席した12月1日御前会議は決定を追認しただけだった。

この9人は東条ら軍官僚を含め、すべて官僚だった。注目したいのは、開戦決定の場に国民の負託を受けた人が誰もいなかった。太平洋戦争は、官僚政治の無責任な決断が引き起こした戦争だった。

・・・

決断に至るプロセスは

1941年9月の段階で「日米交渉の成果がない場合は、武力発動も辞さない」と決定。戦力費の厳密な分析もないまま崩しに回線に突入する。

 それまでも理念や思想、この国をどう動かすかという議論なしに、でたとこ勝負だった。

・・以下略」

 

どうだろうか。まさに冒頭に書いた今回のオリンピック開催決定のプロセスの構図と基本的によく似ていることにお気づきだと思う。

 

歴史は繰り返すという。それは人間の心理は今も昔も基本的に変わらないからである。歴史から学んだことを次の世代に生かしていくことを、社会全体で推し進めていかない限り同じ過ちを繰り返していく。改めて歴史を学ぶことの大切さを実感する。保坂氏はさらに次のように述べている。

「日本では、悲惨さばかり強調し、戦争はいけないという結論だけを教えがち。どういうプロセスで戦争になったのかといメカニズムを教えるべきだ。誰がどんな議論を開戦を決めたのか。そういうことを教えないといけない。」

 

今年亡くなったジャーナリストの半藤一利氏は、「そして、メディアは日本を戦争に導いた」(東洋経済新潮社)の著書の中で、「現在の日本には情報統制の兆候がさまざまなところにみられ、昭和一桁に似てきている」と警鐘を鳴らしている。昨今の憲法教育基本法を変えようという動きや、通信傍受法や個人情報法保護法といった法律改正の動きはその代表的なものである。パソコン情報やSNSにより、多くの国民が簡単に偽情報に操作されやすい現代社会においては、昭和一桁以上に世の中の空気に流されやすいといえる。注意しないといけない。

 

以上

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Merry Widow Waltz(メリー・ウィドウ・ワルツ)』を演奏してみました。よかったらお聴きください。

 


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〇 曲の説明

メリー・ウィドウ』(ドイツ語: Die lustige Witwe, 英語: The Merry Widow 日本語に訳すと「陽気な未亡人」)は、フランツ・レハールが作曲した3幕からなるオペレッタ(ウィンナ・オペレッタ(ドイツ語版))。原題はドイツ語の「ルスティゲ・ヴィトヴェ」だが、日本ではもっぱら英訳の題名「メリー・ウィドウ」で呼ばれる。