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新型コロナ対策についての橋下徹氏の意見を紹介

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 橋本徹

 

ついに新型コロナ感染第四波が到来しました。当然の如く予測された事態です。そして、いつまでも変わり映えしない後手後手の対策。もう、意見するのもいやになってしまいましたが、ここであきらめてはいけません。苦難の状況は「夜明け前が一番暗い」といいます。ワクチンが目の前に届いているというのに、最後の災難で死にたくはないからです。

以下は、新型コロナ感染対策に関する、元大阪知事の橋本徹氏のメディアにおける発言です。多少長くなりますが、核心を突いた傾聴に値する意見だと思ったので紹介したいと思います。

 

まず、以下の2つの記事を紹介します。

 

Rakuten Newsより)

橋下徹氏が4月19日放送のフジテレビ系ニュース番組「Live News イット!」(月~金曜後3・45)にリモート出演。東京都の小池百合子知事をはじめ、全国の知事が人流抑制を強く呼びかけていることに対し、新型コロナ感染対策として「“人流の抑制”を柱にするのは反対」と主張した。

「やっぱり飛沫感染なワケでしょ。そしたら対策をきっちりやっているところは営業を認めるということをやらないと、感染対策なんてバカらしくて誰もやらなくなりますよ」と続けた。

 政府に対しては「1年間時間があったのに、感染対策をやっているところは営業を認めるということをルール化してこなかった政治の怠慢で、いざ危ない時に人流抑制によって感染対策をしっかりやっているところが全部“人流の抑制”の名のもとに止まるっていうのは、僕はやっぱり反対ですね」と私見を述べた。

 さらに「政治の怠慢で国民の権限を、自由を制限することに及び腰で、ずっとお願いベースで何もしてこなかった。飛沫感染を防止するということで何でマスク着用の義務化、罰則化をしないのか。飲食店に入った時、マスクを外しての会話っていうのは罰則対象だよっていうのを全国民に義務化することをまず先にやって、それでもダメだったら次は人流抑制、営業の停止というのが順番だと思うんですよ」と説明した。」

 

Yahoo!ニュースより)

「29日放送のTBS系情報番組「ゴゴスマ」(月~金曜・午後1時55分)では、

コメンテーターで出演の元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏(51)は「緊急事態宣言はこれはメッセージだけで、ある意味、催眠術みたいなもんですよ」とバッサリ。「みんな、緊急事態宣言が出ているだけで、何かやった気になっているし、政治家も。国民も感染が抑えられるんじゃないかなと錯覚していただけで、中身を見たら『とことんステイホーム』とか、何もやってないわけですよ」と厳しく続けた。

 その上で「やろうと思えば、お店の中の面積あたりの人数を制限するヨーロッパ方式とか、マスク会食とか、賛否両論あると思うけど、マスクしたまま会食して下さいねとか命令を出そうと思えばできるんですよ。そういういろいろなことをやらずに緊急事態宣言でみんな我慢しましょう、踏ん張り時ですって、メッセージだけ出しても、そりゃ効果は出ないでしょうね」とし、「具体的なアクションを起こしたら、ものすごく批判が来ます。お店に制限かけるんだったら、支援金も積まなきゃいけない。そういう政治の責任をきちんと果たしてこなかったから、こうなっているんじゃないですか?」と厳しく続けていた。」

 

以上の橋下徹氏の発言は、政府や自治体の新型コロナ対策の問題の本質を鋭く突いていると思います。まさにわが意を得たりの感です。発言力のある橋本氏に主張していただき感謝したいと思う。新型コロナの感染が始まってからすでに1年以上経って、何が問題かは専門家ならずとも国民の多くが理解していると思います。昨日、テレビ報道で、ある街の繁華街に若者たちが大勢集まり、マスクもしないで大騒ぎしながら、アイスクリームを回し食いしている様子が報道されていました。この一例が示すように、社会性に欠ける鈍感な一部の愚か者の行動が、感染を拡げている主要因であることは間違いないと思います。それをピンポイントで抑え込む対策をとるだけで、感染拡大をかなり抑えられるのではないでしょうか。そうすれば経済へのダメージを最小限にしながら効果的に感染を抑制できると思うのです。そのためにとるべき具体的な対策は、政治や行政の最も得意とするところであるはずです。しかし、場当たり的な対策で、効果が上がらなければ罰則というのでは、政治の怠慢であるというのはごもっとも意見です。

 

さらに、医療機関について橋本氏は、

デイリーニュースより)

「2021年1月4日、BSフジ「BSフジLIVE プライムニュース」に出演。新型コロナウイルス対策で、感染者数の抑制とともに必要なのが「医療のキャパシティを増やすこと」と指摘した。

 第3波に対する政府の対応について、見解を求められた橋下氏は「(1日数万人の感染者が出ている)欧米と何でも比べるのがいいとは思いませんが」と断った上で、「なぜ日本は(1日あたりの感染者が)4500、3200っていうところで医療崩壊だ、ってなってしまうのか」と切り出した。

 知事時代(08年=~11年)、大阪、そして日本の医療問題に取り組み、世界の医療体制事情を調べたという橋下氏は「日本は一般病床数がものすごく多い。88万とか90万床とか。そのうち、コロナ対応してる病床数が2万7000なんですよ。診療所とか病院の数が先進国でも1番ですよ。医師数、看護師数はものすごい多いわけではないけど」と説明。

 「こういう医療資源をうまく使えてんのかな、と。今、一生懸命頑張って下さってる、コロナ対応してくれている病院の方々に本当に頭が下がる思いだし、その現場では人出が足りないのはもちろんそうです」と感謝を示した上で、「コロナ対応していない病院(医療機関)とか医療従事者があまりにも多すぎるんじゃないか、と」と問題提起した。

 橋下氏は、コロナ対応した場合の感染リスクや看護師に対する保育園問題などの社会的サポートの必要性にも言及し、医師会、看護協会などからの「大反対」は承知の上で「今の日本の医療体制ではコロナ対応していない医療機関や医療従事者が多すぎる」と発言。「これは医療側の問題ではない。こういう有事の時に、限られた医療資源…医療機関、人員をきちんとマネジメントする司令塔は、どこなんだ、というと、ここは政治の力しかない。もちろん本来なら、医療機関の自発性にお任せする、それが基本ですが、どうしてもダメだ、ってなった時には、政治がそこに入っていく。この問題点をクリアしないとコロナ対応は完結しないと思う」とコロナ対応という有事の際の政府の“強制力”の必要性を訴えた。」

 

問題が発生すると当事者間で責任のなすりあいが起こるというのは、どのような社会にあっても世の常です。筆者も現役時代、幾度もこのことで苦労したことを思い出します。しかし、それでは問題は解決しない。冷静に問題を分析し、お互い責任感をもってやるべきことをしっかりやり遂げることが大切です。しかし、現状は、政府も、自治体も、医師会もお互いの責任をしっかり果たしているといえるのでしょうか。そのもっとも大きな責任を負うべき政府には、しっかりとしたリーダーシップをとってもらいたい。

 

これまで、このブログでも、以上紹介した橋本氏と軌を一にする考えを何度か述べさせていただきました。しかし、いっこうに改善されるきざしが見えません。同じことの繰り返しです。そうこうしているうちに、新型コロナも最終局面で最大の危機を迎えることになりました。残された時間は多くありません。関係者の皆さんには全力で責任を果たしてもらいたいと思います。しかし、筆者の憂慮はその先にあります。これから日本を襲ってくるであろう数々の国難に、今のような国や自治体で、迅速・柔軟・適切に対応できるのだろうかという危惧です。我々国民としては自分の身は自分で守るという意識が必欠かせません。

 

おわり

 

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映画『007 ロシアより愛をこめて』の主題歌「ロシアより愛をこめて(From Russia With Love)」を演奏してみました。よかったらお聴きください。


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「音楽の癒しのちから」(日野原重明;春秋社)を読んで

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音楽の医学的な効用に早くから注目し、医療に音楽を取り入れてこられたのは元聖路加国際病院日野原重明先生(1911-2017)でした。今回先生の著書である「音楽の癒しのちから」を読んでみました。この書は音楽をバックにした自叙伝ですが、改めて先生の数々の先駆的な功績を知り、敬意を新たにした次第です。そのひとつが、日本の医療現場における音楽療法の導入でした。1995年に、全日本音楽療法連盟を設立し、初代理事長に就任されました。また、2001年の音楽療法学会の設立に多大な貢献をされました。

 

先生は敬虔なクリスチャンであるとともに、幼少期からピアノに親しまれました。大学時代に肺疾患を患って休学した際、音楽に癒され、音楽がもたらす力を誰よりも認識し、それを医療に役立てようとしておられたのだと思います。その核心にあったのは、患者の心に寄り添うやさしさだったと思います。

 

音楽は、ほとんどすべての人にとって日常生活と切り離せないものになっています。疲れた心を癒し、あるときは鼓舞し勇気を与えてくれます。音楽は人の内面の潜在力を引き出してくれるものです。

 

日野原先生は本書のおわりに、

『これから先の、私に許される幾ばくかの年月の中でも、音楽は私のいのちの続く限り、私の心を豊かに支えてくれることと信じる。

 そして、先にも述べたフォーレの『レクイエム』、作品四十八の曲     、その中のあの素晴らしい第四曲の「ピエ・イエズエ」(Pie Jesus)、変ロ長調の四分の四拍子のアダージオで始まるソプラノのメロディーを聴きながら、この世のつとめ終えたいと願っている。

 

芸術において人間は世間の中に結びつけられ、霊をも開放する。

音楽、芸術において人間は、自分自身の中に結び付けられた霊を開放する。

ルドルフ・シュタイナー)』

と書いています。

 

フォーレの『レクイエム』、はじめて知ったのですが、聴くと天国に旅立っていくような、厳かな中にも幸せに満ちた気持ちになります。よかったらお聴きください。

 

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 サックス奏者Kenny Gにより、1996年にリリースされた『The Moment』をChromatic Harmonicaで演奏してみました。軽快で美しいメロディーの曲と思います。よかったらお聴きください。

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望郷

わたしはあと少しで古希を迎える。「なってしまった」といったほうがよいかもしれない。気持ちは若いと思っていても、やはり年寄る波には勝てない。最近あちこちと体のガタが目立つようになってきた。気のせいかもしれないが、50、60、70というのは、体の変調を感じる人生の節目だと感じる。

 

そして、ひとり静かに思いを寄せるのが遠い故郷である。記憶の中の故郷はいつまでも変わらないが、父と母はすでにこの世を去り、生家も朽ち果ててしまった。グーグルマップで生家を見てみると、草木が生い茂り昔の面影はなくなってしまっている。過疎化も手伝って、部落そのものがなくなりつつある。

 

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朽ちていく故郷の生家(鹿児島:2013年)

 

そのような現実はあっても、貧しくも明るく活気のあった頃の遠い昔の思い出が、昨日の出来事のように蘇ってくる。わたしの故郷は、鹿児島でも辺境の地だったので、昭和30年代になっても戦前からの風俗や生活習慣が色濃く残っていた。村民のほとんどは零細な農家で、当時にあっても生活レベルは都市部とはかなり差があったと思う。ましてや、現在と比べると比較にならないほど質素だった。しかし、貧しいという悲壮感は全くなかった。遊び道具はすべて自分で作った。お腹が空けば、自分で山に出掛けて、天然の山芋(ジネンジョ)や木の実を採って食べた。狩りもよくやった。受験勉強などとは無縁の世界で、年中友達と大自然を相手に遊び周っていた。村人は強い連帯感や助け合いの精神で結ばれ、活気に満ちていた。毎日が楽しくて仕方なかった。物質面では恵まれなくとも、精神的には豊かな時代だったと思う。当時を思い出すだけでも気持ちが癒されるのである。

 

いつも思い出されるのが幼友達である。当時はどの家も子だくさんだったので、たくさんの友達がいた。あのいっしょに野山を駆け巡って遊んだ友達は、今頃どうしているのだろう。あの仲良しだった・・・子ちゃんはどうしているのだろう。会いたい。しかし、それは叶わないだろう。どんなに仲のよかった友達でも、いつかは別れ、消息もわからなくなる。それぞれに長く重たい人生を歩んできたに違いない。そして、いずれ、はかなくこの世を去っていく。これが人間社会で生きていかなければいけない定めである。

 

現実社会に戻ると、私の幼少時代とは対照的である。物に溢れ、おいしいものは何でも食べられる。お金さえあれば欲しいものは何でも手に入る。毎日がお祭り気分である。そのため、豊かさがあたりまえになり、そのありがたみを忘れてしまった。また、さまざまな犯罪が日常化し、お互いを信じられない時代になった。かつて聖職として尊敬されていた教師は、教師としての誇りを失い、耳を疑うような破廉恥なニュースが飛び込んでくる。物質的に豊かになる一方で、精神的には飢餓状態にあり貧困化してきているのが現代ある。これは、少なくとも日本社会がいまだ未成熟なためであり、いずれ物質的にも精神的にも成熟した社会がやってくることを信じたい。

 

 

先日いつものラジオ深夜便で、千昌夫さんの「望郷酒場」の歌が流れていたのを聴き、故郷のことを思い出し、以上のような思いを記事にしました。この曲は、演歌の中では最も好きな曲のひとつです。曲の出だしの「おやじみたいなヨー 酒飲みなどに ならぬつもりが なっていた・・・」は、誰しも納得する人生の悲哀がよく表われており、庶民の心をつかむ。メロディーもすばらしい。そして、素朴で人情味溢れた千昌夫さんがこの歌を引き立てています。まさに三拍子そろった名曲だと思います。千昌夫さんの歌は「こちら

 

クロマチックハーモニカでも演奏してみました。演歌を久しぶりに演奏してみると、また格別なものがあります。特にこの「望郷酒場」は、遠い故郷をあとに夢を抱きながら都会に出てきた者として、ジーンと胸に迫ってくるものがあり大好きな曲のひとつです。よかったらお聴きください。

 


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天災は忘れた頃にやってくる

 

今年の3月は暖かくてしのぎやすい日が続いた。4月は平年の気温に戻るという。わが町、八王子市でも3月20日頃には桜の花が咲き始め、それから1週間後は満開となった。早いもので、既に花は散り、新緑が芽吹いてきた。毎年のように繰り返すこの風景、月日の経つのはなんと早いのだろうと思う。

 

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八王子市浅川の土手に咲く桜(3月25日)

 

過ぎてしまえば次第に記憶から薄れていく過去の出来事であるが、改めて振りかえってみると、近年毎年のように未曽有の大災害に見舞われてきたことに気付く。最近の主な大災難を挙げてみたい。

 

1995:阪神淡路大震災

2011:東日本大震災原発事故

2014:広島土砂災害

2016:熊本地震

2017:九州北部豪雨

2018:西日本豪雨

2019:台風19号による東日本豪雨

2020:新型コロナ

 

災難に遭った人たちにとっては生涯忘れられない悲劇的な出来事だったと思う。一方で、時の経過が傷ついた心を癒してくれる。そして、また平穏な日常が戻ってくる。どのような災難であっても、未来に希望をもって生き抜くことが大切だと思う。

 

しかし、過去の災害を忘れてはいけないと思う。過去の苦い経験を教訓としてつぎに備えておきたい。最近の地球的規模の気候変動、そして日本は地震の活動期に入ったといわれる。富士山はいつ大噴火してもおかしくないといわれる。地震、火山爆発、風水害など、今年も新たな試練が待ち受けている可能性が高い。天災は忘れたころにやってくる。ちなみに、東日本大地震がその再来といわれる貞観三陸地震(869年、M8前後)の5年前には富士山が噴火、9年後には直下型の相模・武蔵地震(M7.0-7.5)、そして18年後には仁和南海地震(M8.0-8.5,東海地震との連動ともいわれる)が発生している。地震や火山活動が活発な現在と非常によく似た時代だった。東日本大震災から10年、あのときの緊張感をもう一度思い出してみたい。

 

 

こんなことを考えながら、先日久しぶりに防災備蓄品を点検してみました。なんと、食料は賞味期限5年を、その倍の5年も過ぎていました。東日本大震災のときに準備して以来でした。で、食べてみたところ、乾パンは市販品と何ら変わりなくおいしい。ごはんもおいしくいただけました。賞味期限の定義は曖昧ですので、特に匂いや見た目で問題がなければ、自己責任で食べてみるのもよいと思います。

 

以上、「風が吹けば桶屋儲かる」ではないですが、桜の花の散るのをみながら、災害備蓄品を更新した一週間でした。

 

おわり

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 サックス奏者、Kenny Gのヒット曲『Loving You』を演奏してみました。よかったらお聴きください。


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政治や行政はもっと民間に学べ

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先日、「政府のコロナ「第4波」対策に違和感を強く覚える理由、救急医が提言」(2021.4.1付 DIAMONDonline)

と題するある医療機関の救急医の提言を読んで、なるほどと共感したので紹介したい。掻い摘んで述べると、『行政から大号令はあっても、ヒト、モノ、カネをどうするのかといった中小の医療機関の死活的な問題について何ら方策が示されていない。「お願い」であって「強制」ではないから、これでは積極的に対策を進めることができない。』というのである。

 

昨年からの、政府のコロナ対策を振り返ってみると、終始一貫して後手に回ってきたコロナ対策。そして個々の対策をみると、代わり映えしない自治体任せや国民任せが目立った。その代表的なものが、強制ではなく自粛要請。聞こえはよいが、裏を返すとリーダーシップ不在で、責任の所在が不明確である。いかにも日本的である。そしていざ強い対策をとるかと思えば、有効な対策を打たないまま、時短制限違反者に罰則規定が設けられた。その前に、政府の責任でやるべきことがたくさんあったはずである。その裏では官僚や政治家の夜遊びが問題になるのだから、開いた口が塞がらない。

 

これまでの政府の対策に共通するのは、リーダーシップの欠如と不明確な責任所在。そして、その背景には、硬直化した行政のしくみに問題があるのではないだろうか。予期しない国難に対応するためには、柔軟な発想とそれを吸い上げて政策に生かしていく風土やしくみが欠かせない。日本屈指の優秀な行政庁の頭脳集団にあって、それができていないということは、組織が硬直化しているとしか考えられないのである。

 

企業において成長を妨げる最も大きな要因は、鬱々とした権威主義のはびこる活力のない硬直化した体質である。世界を席巻する「GAFA」( GoogleAppleFacebookAmazon)をみて欲しい。のびのびと活躍する優秀な若い研究・開発者と、その成果を最大限経営に生かしていく優れた経営者が一体となっているから、世界的な企業に成長できたのである。対して日本はどうだろうか。研究開発力の国際的な凋落が著しい。最近話題の国際的な大学ランキングにしても恥ずかしい限りである。ワクチン接種率やワクチン開発の遅れは先進国の名に値しない恥ずかしい状況である。挙げたらきりがない。このままでは日本に明るい未来はない。その最大の責任が日本の政治や行政にあることはいうまでもない。

 

この大変革の時代にそぐわない村社会のような長老支配の旧態依然とした政治や、腐敗した行政の立て直しが待ったなしである。しかし、「言うは易く行うは難し」、既得権益でがんじがらめになっている現行のしくみを変えるのは容易ではないだろう。また、一度染みついた体質はなかなか変わらない。2007年に民営化された郵政三事業がこのことを物語っている。

 

政府や行政の内部からよい政策が出てこないのであれば、国はもっと賢明な民意に謙虚に耳を傾けることが大切だと思う。医療などの現場からは連日のように、怒りや悲鳴ともいえるような意見や改善案が提案されている。これらの中には共感するものが多い。民間には優れたアイデアがいくらでもある。その一例は新型コロナ対策の“山梨モデル“である。ここでは詳しいことは述べないが優れたアイデアだと思う。最悪は昨年の、Go To Travelキャンペーンだった。専門的な知識も能力もない権力者が、強引に権力を振るうと国全体が間違った方向に進む。Go To Travelキャンペーンはもとより、アメリカの前政権がその極端な例だった。

 

健全な政治行政に最大の責任を追うのは与党であるが、同時にそれは野党の責任でもある。しかし、野党も人材不足で頼りない。敵失の追及ばかりで元気なところを見せても信頼を失うばかりである。猛々しさや威勢はときに暴力と同じで不愉快な気持ちになることがある。真摯に腹の座った大人の政治力を見せてもらいたいと思う。

 

以上

 

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以上、書きながらだんだんといやな気分になってきました。読まれた方はなおさらかもしれません。申し訳ないと思いながらも、政治に無関心であってはいけません。

 

気分転換には音楽がいちばんです。

1997年の映画『タイタニック』の主題歌、「My Heart Will Go On (Love Theme from "Titanic")」を演奏してみました。よかったらお聴きください。

 

<曲の説明>(ウィキペディア)

「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」(英: My Heart Will Go On = 私の心は生き続ける)は、1997年の映画『タイタニック』の主題歌。アカデミー歌曲賞を受賞した。作詞はウィル・ジェニングス、作曲はジェームズ・ホーナー、プロデュースはサイモン・フラングレン、ジェームズ・ホーナー、ウォルター・アファナシエフ。歌はセリーヌ・ディオンである。元々は1997年のセリーヌ・ディオンのアルバム『レッツ・トーク・アバウト・ラヴ』でリリースされ、アメリカ、イギリス、オーストラリアなど世界各地でナンバーワンを記録した。1997年12月8日にオーストラリアとドイツ、その他の国では1998年1月と2月にそれぞれリリースされた。

 

健康長寿そして生きる意味とは?

 

先日の日曜日の早朝4時、寝床の中でウトウトしながらラジオのスイッチを入れると、

「・・今朝は、こころを重ねる処方箋と題してお送りします。東京、板橋と池袋に薬局を構える比留間栄子さんのお話しです。97歳。今でも朝8時半から夜7時半まで店に立ち、95歳のときには世界最高齢の現役薬剤師に認定されました。お父様が始めた薬局を継いで76年、ただ調剤をして薬を渡すだけでなく、お客さんのはなしを親身に聴き、心に寄り添うやさしさから、人は皆、栄子先生と呼びます。お客さんに手を添え、心を重ね続けて栄子先生が薬とともにそっと手渡してきた言葉のくすり。人に寄り添う処方箋をうかがいます。・・(NHKラジオ深夜便「明日へのことば」『聴き逃しサービス』より)」

との司会者の番組の案内に、パッチリと目が覚めてしまいました。そしてこれだけでなく、続く比留間さんのしっかりとした話ぶりにすっかり感動し、聴き入ってしまいました。知る人ぞ知る、比留間さんは有名な方のようで、ご存知の人も多いと思います。比留間さんよりも30歳近くも若い筆者は、しっかりしないといけないと改めて感じた次第です。

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      比留間栄子さん(97歳)

 

同じ、ラジオ深夜便の「明日へのことば」の番組で、全く同じような体験をしたことがありました。今から20年前、聖路加国際病院日野原重明先生が90歳のときに出演されたときでした。若々しい声で、しかもよどみなく理路整然と話をされていたのに驚き、このときも目が覚めてしまったのを忘れることができません。日野原先生のことはこのとき初めて知ったのですが、それから年を増すごとにマスコミで取り上げられる機会が多くなり、一般の人にもすっかり有名になりました。先生の数々のご功績については改めて述べる必要はないと思いますが、筆者が強く印象に残っているのは、つねに患者の心に寄り添う気持ちを大切にされてきたということでした。前出の比留間さんの姿勢と軌を一にしています。蛇足ですが、筆者は今から半世紀昔、地方の工業高校を卒業し、ひとりアルバイトをしながら受験勉強に励んでいました。そして、大学受験のための願書に添える健康診断書を作成してもらうために世話になったのが、日野原先生が勤務されていた聖路加国際病院でした。健康保険証を持っていなかったので、明日のわが身はどうなるかもわからない貧乏青年にとって、とても大きな出費だったことを昨日のことのように覚えています。下宿先の池袋から遠く離れた築地のこの病院を選んだのは偶然でした。その当時、日野原先生はバリバリの60歳前後だったと思います。これも何かの縁だろうと思ってきました。

 

もう一人紹介したいと思います。わが町、八王子市の駅前に老舗の薬局があります。そこの従業員の一人が90歳の女性でした。敢えて「女性」と書きました。背筋はピンとしていて肌艶よく、いつも元気溌剌として、頭脳明晰でした。我が家も家族全員、この先生のお世話になっていました。薬をもらいにいくと、いつも家族のことを気にかけてくれていました。この店だけでなく、町にとってもかけがえのない存在だったと思います。そして、3年程前、突然のように亡くなられたという知らせを聞きました。

 

上記三名の方々が医療業務に従事されていることは偶然ではないと思います。患者の心に寄り添う医療を実践し、患者から信頼され慕われていたこと、職業柄つねに新しい知識を吸収し、研究しなければならないことや、よい生活習慣を身につけておられたであろうことなど共通しています。

 

筆者は健康長寿の条件として以下の4項目を挙げたいと思います。

  • 生き甲斐をもつこと
  • 頭脳を活性化させること
  • 適度の運動
  • よい生活習慣

これらは相互に独立したものではなく、互いに関連していると思います。

心身一体といわれるように、気持ちが前向きでないと免疫力が低下し、病気になりがちです。周囲との良い人間関係を保ち、頼られる存在であることや、趣味を持つことが前向きに生きる力となります。他人との会話、手足を動かす、創造的なことに打ち込むことなどが脳の活性化につながります。逆に、脳が衰えると意欲が低下します。さらに適度の運動や、よい生活習慣を保つことは言うまでもないことです。足腰が弱ると全身が弱くなっていきます。また、よくない生活習慣が長く続くと、ある人は60歳で、またある人は70歳で、長年の不摂生により痛めつけられた体の弱い部分がついに崩壊します。その多くは、ジワジワと襲うよりも、青天の霹靂のごとく襲ってくるので恐ろしい。

 

健康長寿とは健康で幸せに長生きすることです。延命治療により苦しみながら長生きすることは却って不幸なことです。できることなら健康で幸せに長生きをして、最後は苦しむことなく、周りに迷惑をかけず安らかに人生を全うしたい。このことは誰もの願いでしょう。人生をどのように全うするかという問題は、「人生とは何か」、「この人生を生きる意味とは何か」という問いにも通じる奥深い問題です。改めて考えてみたいと思います。

 

以上

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テレサ・テンの歌声で知られる中華圏のスタンダード・ナンバー『The moon represents my heart(月亮代表我的心)』を演奏してみました。よかったらお聴きください。

 <曲の説明>(ウィキペディアをコピー)

「台湾の美空ひばり」と謳われた陳芬蘭(チェン・フェンラン)が1973年5月にアルバム『夢郷』で発表し、同年11月には劉冠霖がアルバム『月亮代表我的心』でカバーした。

1977年にテレサ・テンがアルバム『島國之情歌第四集 香港之戀』でカバーして大ヒットし、テレサの代表曲になった。

徒然なるままに読書_日本三大随筆

 

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           鴨長明

 

春になると旅に出たくなる。それもこのコロナ禍では危なくて気が進まない。日本三大随筆(枕草子方丈記徒然草)でも読んで、遠い昔への旅にでも出て気を紛らそう・・・なんてことを考えながら、久しぶりに本棚から取り出してみました。随筆とは、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想や思想をまとめた散文です。現代でいうとブログのようなものです。したがって、これを読むと、その当時の人々の考え方や生き方を窺うことができます。

 

三大随筆のいずれにも季節のうつろいを綴ったくだりがあります。ここでは詳しくは紹介しませんが、どれも美しく格調高い文章で綴られています。例えば

「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎはすこし明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。・・・・」

は有名な枕草子の冒頭の一節です。この冒頭のくだりを読んだだけでも、世知辛い俗世界を離れて旅でもしたくなってきます。

 

上記三大随筆の中で筆者が最も好きなのは方丈記です。作者は鴨長明で、鎌倉時代初期(約800年前)に書かれました。悩み苦しみながら生きた波乱万丈の人生を綴ったこの書に心惹かれるのです。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」

(現代語訳:川の流れは絶えることはなく、それでいてそこを流れる水は、同じもとの水ではない。川のよどみに浮かぶ水の泡は、一方では消え、また一方ではできて、そのまま長くとどまっている例はない。世の中に生きている人とその人たちの住処もまた、ちょうどこの川の流れや水の泡のようなものである。)

この文章は、方丈記の有名な冒頭の一節です。美しく格調高い芸術的ともいえる文章です。それだけではありません。この文章には、時代を越えて人々の心を打つ普遍的な人生観が込められており、年を追うごとにしみじみと心に響いてきます。

 

方丈記の前半部分には、鴨長明が実際に体験した1185年8月6日京都を襲った 文治地震(元暦大地震)(M7.4)などの大地震や火災、飢饉といった五大災害の悲惨な状況がありありと記され、そこから窺えるこの世の無常さや理不尽さが描かれています。まさに、複雑化した社会の中で凶悪な事件が日常化し、大きな自然災害が多発している現代に通じるところがあります。悲しい無常の世界や複雑な人間社会の中で、「人生とは何か」、「この人生を生きる意味とは何か」を問い続けながら生きた、長明の波乱万丈の人生が描かれています。

 

いつ尽きるかもわからない、はかない命です。改めて「人生とは何か」、「この人生を生きる意味とは何か」を自分自身に問いかけ、自分らしい生き方を考えてみるのもよいかもかもしれません。

 

おわり

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アメリカのサックス奏者Kenny Gの「Forever in Love (instrumental)」を演奏してみました。よかったらお聴きください。

<曲の説明>(Wikipedia

"Forever in Love" is an instrumental by saxophone player Kenny G that was released as a single in 1993. The song appears on Kenny G's album Breathless, and he both wrote and produced the song. The song topped the US and Canadian adult contemporary charts and won a Grammy Award for Best Instrumental Composition at the 1994 ceremony.

(日本語訳)

「フォーエヴァー・イン・ラブ」は、1993年にシングルとしてリリースされたサックス奏者ケニーGのインストゥルメンタルです。この曲はケニーGのアルバム「ブレスレス」に登場し、彼は作曲とプロデュースを行いました。 この曲は、米国とカナダのアダルトコンテンポラリーチャートのトップにランクされ、1994年の式典で最優秀インストルメンタルコンポジショングラミー賞を受賞しました。