MaYa

日々新又日新

“知る“と”気付き“

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Lovepic”よりコピー

 

本の学校教育はそのほとんどが、知識を吸収することに時間を費やしているといっても過言ではない。試験問題は記憶によって解答できるのがほとんどである。資格試験はその最たるものだといってよい。

 

これを知識偏重主義といって非難する人も多い。確かに行き過ぎた知識偏重教育は問題である。しかし、知識は新しいものを生むための基礎になるものである。また、知識を吸収し教養を高めることは心を豊かにし、また人生を豊かなものにしてくれる。知識はやはり大切である。要はその中身が問題ということではないだろうか。

 

一方で単なる物知りのための知識は、コンピューターが肩代わりしてくれる時代になってきた。スマホ片手に、わからない用語を検索すれば即座に丁寧に教えてくれる。写真を撮ればその名前から詳しい情報まで即座に教えてくれる。音楽を録音すれば曲名を教えてくれる。外国語を知らなくても外国人と普通の会話ができるようになるのも時間の問題だろう。つい20年前までは考えられなかったことである。将来は知識を基にした仕事はそのほとんどがAIに置き換わる時代がくると思う。弁護士とか医者といった仕事も例外ではない。知識を重視した試験制度も大きく変容していかざるを得ないだろう。

 

科学は過去の膨大な知識や経験の積み重ねの上に成り立っている。しかし、知識を統合し、そこから次元の異なる新しいものを創造することはAIといえどもできない。しかし、これもいずれ解決される時代がやってくるのではないだろうか。そうなるとAIは産業上、国防上きわめて重要な戦略的技術になってくる。ウカウカしていると、人間がAIに支配されてしまう。いずれにしても、知識が重要であることに変わりはない。

 

では、特にこれからの時代に、知識以上に価値あるものは何だろうか。それは“気付きの力”だと思う。“想像する力”または“創造する力”といってよいかもしれない。例えば、何事も率先して気配りの効く人は尊敬される。逆に、他人に教わったり注意されたりしないと何もできない人は、自分自身を見失ってしまう。また、世界で最初に有用な発明・発見をすれば、人類に多大な貢献をしたり企業に大きな利益をもたらしたりしてくれる。逆に、物まねで誰にでも作れるものばかり作っていると過当競争に押され、やがて淘汰されていく。このような例は枚挙に暇がない。気付きの力は、新しいものを創造するだけでなく、豊かな明るい社会を築く上でも大切である。

 

では“気付きの力”を身につけるにはどうすればよいだろうか。それは、このブログでも折に触れて述べているが、“自分自身で考え行動する習慣”を身につけることだと思う。どのような権威ある情報であってもそのまま鵜呑みにせず、自分自身で吟味してみることが大切である。それが想像力や創造力を育み、自立した考えを持つことにつながる。また創造力をつけるには、現状に満足せず、つねに改善する意識を持つことが大切だと思う。それが新しい発明や発見につながっていく。「必要は発明の母」といわれる。

 

気付きの力は生まれながらの能力が大きいかもしれないが、しつけや教育によるところも大きいのではないだろうか。

 

以上

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フォスター晩年の傑作といわれる「夢路より(Beautiful Dreamer)」を演奏してみました。よかったら聴いてください。